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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)12204号 判決 1988年4月22日

原告 吉岡久二子

右訴訟代理人弁護士 堀合辰夫

同 高橋輝美

右訴訟代理人堀合辰夫訴訟復代理人弁護士 石川順子

同 水野賢一

被告 阿部誠

右訴訟代理人弁護士 須田清

同 伊藤一枝

同 岡島芳伸

被告 学校法人 日本大学

右代表者理事長 柴田勝治

右訴訟代理人弁護士 平沼高明

同 関沢潤

同 堀井敬一

同 野邊寛太郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自一五〇〇万円及びこれに対する被告阿部誠は昭和五九年一一月一一日から、被告学校法人日本大学は同月一三日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告阿部誠(以下「被告阿部」という。)は、肩書地において阿部医院を開業する医師であり、被告学校法人日本大学(以下「被告日大」という。)は、東京都板橋区大谷口上町三〇番一〇号において日本大学板橋病院(以下「日大病院」という。)を開設するものである。

(二) 原告は、昭和二六年八月七日生まれの女性であり、同五〇年に訴外吉岡宏治(以下「訴外宏治」という。)と婚姻した。

2(一)  原告は、昭和五四年三月、月経期間でないにもかかわらず一週間位不正出血が毎日続いたため、同月二七日、阿部医院に赴き被告阿部の診療を求め、同被告との間に診療契約を締結した。原告は同日被告阿部から診察を受けたところ、尿検査等の検査の結果、妊娠していることが判明し、同被告から切迫流産のおそれがあると診断され、安静にするよう指示され内服薬を与えられた。

(二) 原告は、その後同年四月一〇日までの間に、阿部医院に数回通院して同被告の診察を受け、与えられた内服薬を使用していたが、出血がとまらず食欲もなく吐き気がひどく疲労感が強い状態が継続した。

(三) 原告は、同年四月一〇日、被告阿部から出血治療のため入院するよう指示され、同日から阿部医院に入院し、点滴等の治療を受けるようになった。原告は、右入院後、被告阿部から、子宮外妊娠の疑いがあるので、同被告の紹介する日大病院で検査を受けるよう指示された。

(四) 原告は、同年四月一七日、被告阿部の紹介状を貰い、被告日大の経営する日大病院に赴いて同病院の診療を求め、被告日大との間に診療契約を締結した。原告は、同日日大病院の動務医である訴外小田原秀眞(以下「訴外小田原」という。)外一名の医師から約三〇分位かけて問診、検査(超音波検査を含む)等の診察を受けたが、その結果右二名の医師から、子宮外妊娠の疑いはなく異常なし、との診断結果を告げられた。原告は、同日、日大病院から右検査結果を記載した紹介患者連絡箋等の書類を受け取り、阿部医院に戻って、右書類を被告阿部に渡した。

(五) ところが、原告はその後も腹痛が続き、腹部にしこりを感じたりしたため、右症状を被告阿部に訴えたが、同被告は日大病院の診断を盲信して、「大丈夫だ。異常はない。」との一点張りで何等の措置もとらなかった。

(六) 原告は、同年四月二七日、阿部医院を退院したが、退院後の四月末から五月にかけては食欲がなく、起きて仕事をすることもおもうにまかせなくなり、下腹部全体が痛む腹痛が続いて自由に歩けない程であり、顔色も悪く、体重も妊娠前五二キロあったのに同年六月一五日には四九キロに減少するという状態であった。

(七) 原告は、同年六月一九日、七月七日及び同月一三日に阿部医院で被告阿部の診察を受けた際に、同被告に対し右(六)記載の下腹部痛等の症状を訴えたが、同被告は従前と同様に「大丈夫だ。異常はない。」との一点張りで、安静にしているよう指示するだけだった。

(八) 原告は、同年七月二一日被告阿部に対し、父の見舞いのために名古屋に行くことについて相談したところ、同被告はこれを許可してくれた。そこで原告は、同月二二日、出産まで名古屋に滞在する予定で名古屋の実家に赴いたが、名古屋において状態が悪化したため、同年七月二三日及び八月一三日名古屋市内の飯田産婦人科病院で検査を受けたところ、胎児の心音不明と診断され、同月一六日夜腹痛が激しくなって同産婦人科病院に入院し、同月二二日胎児の死亡が判明した。

(九) 原告は、同年八月二七日名古屋市立大学病院産婦人科に入院し、同月三一日右大学病院で腹腔妊娠のために開腹手術を受けたが、胎児は妊娠二六週目であり死産であった。右手術の結果原告は、左側付属器(卵管・卵巣)を摘除され、右側の卵管もつぶれていることが判明した。原告は、同年九月一四日右大学病院を退院したが、同病院の高木孝医師の診断によれば、右側の卵管もつぶれているので将来妊娠することは不可能とのことであった。

3(一)  原告は、前記2(九)で述べたとおり、昭和五四年八月三一日名古屋市立大学病院において、腹腔妊娠との診断に基づき開腹手術を受け、胎児除去及び左側卵巣、卵管を摘除され、右側の卵管もつぶれていることから、妊娠不可能な身体となった。

(二)(1) 腹腔妊娠(腹膜妊娠ともいう。)には、原発性のものと続発性のものがあり、続発性のものが大部分であり、既往に卵管流産徴候を示すものが多く、その前提となる卵管妊娠の特徴的な症状は、六ないし八週間の無月経期間後の子宮出血(子宮脱落膜の剥離徴候)の継続、腹痛、卵管の腫大(卵管血腫による)と激しい圧痛等である。

(2) 従って、担当医師としては、本件のような場合、無月経期間とその後の出血の状況、腹痛の部位・程度、貧血虚脱の有無等について十分に問診し、子宮からの排泄物を検査し、付属器(卵巣・卵管)を診察することにより、前記の特徴的症状がある場合、卵管妊娠を疑い、子宮内膜組織診及び子宮卵管造影法等により、正常な妊娠か否かを確認するよう努める法的義務がある。

(3) そして、卵管妊娠等の子宮外妊娠(異常性妊娠)の場合には、治療法は原則として手術療法のみであるから、子宮外妊娠の疑いがあるときには、手術設備のある病院に入院させ、いつでも手術が施行できる態勢のもとに速やかに各種の検査を行い、手術を施行すべきである。

(三) ところが、被告阿部は、原告を診察した当初は子宮外妊娠の疑いを抱きながら、原告が日大病院で検査を受けた後は、右注意義務を怠り原告が異常な症状が継続していることを何度訴えても、それを聞き入れず、日大病院の検査結果を盲信し、何等適切な検査等の医療処置をとらず、結局その診断と処置を誤ったものであり、被告阿部には診療契約の本旨に適った医療処置を為さなかった不完全履行の事実が存する。

(四) 被告日大は、被告阿部から子宮外妊娠の疑いありとの紹介を受け、訴外小田原外一名をして原告を診察させたものであるが、同訴外人らは前記のような問診、検査を十分に行う注意義務を怠り、原告が正常妊娠であり子宮外妊娠ではない旨誤診したのであるから、被告日大には、診療契約の本旨に適った医療を為さなかった不完全履行の事実が存する。

(五) 被告両名の右各債務不履行により、原告の子宮外妊娠の発見が遅れたため、胎児が妊娠二六週目まで成長し、昭和五四年八月三一日の手術により、原告の左側卵管・卵巣は摘除され右側の卵管もつぶれ、原告は妊娠不可能な身体となるに至ったのである。

4(一)  右当時原告は二七歳の健康な女性であり、その夫訴外宏治と結婚後三年半を経過して初めて妊娠し、子供好きの夫並びに両親等とともに、子供のいる円満な家庭を築くべく、初めての子の出産を心待ちにしていたものであるが、本件被告両名の債務不履行により、原告及びその家族の右のような夢は生涯達成することができないこととなった。

(二) また、原告が妊娠不可能であることが判明してから夫との家庭関係も一時険悪なものとなり、子を産めなくなった原告は嫁として親族等から暗に非難されるような眼差しで見られる等、女性として極めて不幸な境遇に陥ったものといえるのであり、これは原告の生涯を通じて継続するものといわねばならない。

(三) 右に述べたように、原告が被告両名の債務不履行により被った精神的苦痛は筆舌に尽くしがたいものであり、これを慰謝するには、一五〇〇万円をもってするのが相当である。

よって、原告は被告両名各自に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき一五〇〇万円及びこれに対する催告の日の翌日である被告阿部は昭和五九年一一月一一日から、被告日大は同月一三日からそれぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告阿部)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実中、原告と被告阿部が診療契約を締結したことは否認し、原告が昭和五四年三月月経期間でないのに、一週間位不正出血が毎日続いたことは知らない。その余の事実は認める。

(二) 同2(二)の事実中、原告が昭和五四年四月一〇日までの間に阿部医院に数回通院したことは認め、その余は知らない。

(三) 同2(三)の事実中、原告が昭和五四年四月一〇日被告阿部の指示で阿部医院に入院したこと、同被告が原告に対し、子宮外妊娠の疑いがあるので同被告の紹介する日大病院で検査を受けるよう指示したことは認め、その余は知らない。

(四) 同2(四)の事実中、原告が昭和五四年四月一七日被告阿部の紹介状を貰い、被告日大の経営する日大病院に赴いて同病院の診療を受けたこと、被告阿部が右同日原告から原告が日大病院から受け取った右診療結果を記載した紹介患者連絡箋を渡されたことは認め、その余は知らない。

(五) 同2(五)の事実中、被告阿部が日大病院の診断を盲信して何等の措置もとらなかったことは否認し、その余は知らない。

(六) 同2(六)の事実中、原告が昭和五四年四月二七日阿部医院を退院したことは認め、その余は否認する。

(七) 同2(七)の事実中、原告が昭和五四年六月一九日、同年七月七日、同月一三日、同月二一日に被告阿部の診察を受けたことは認め、その余は否認する。

(八) 同2(八)の事実中、原告が昭和五四年七月二一日被告阿部に対し、名古屋に行くことについて相談したことは認め、同被告が原告に対し名古屋に行くことを許可したことは否認し、その余は知らない。

(九) 同2(九)の事実は知らない。

3(一) 同3(一)の事実中、原告が妊娠不可能の身体となったことは否認し、その余は知らない。

(二) 同3(二)の事実に対する認否は、後記被告日大の認否と同様であるからこれを援用する。

(三) 同3(三)の事実は否認する。

(四) 同3(四)の事実は知らない。

(五) 同3(五)の事実は否認する。

4 同4(一)及び(二)の事実は知らない。同4(三)の事実は否認する。

(被告日大)

1 請求原因1の事実中、被告日大が東京都板橋区大谷口上町三〇番一〇号において日大病院を開設していることは認め、その余は知らない。

2(一) 同2(一)ないし(三)の事実は知らない。

(二) 同2(四)の事実中、原告が昭和五四年四月一七日被告阿部の紹介状を持参して日大病院に来院して被告日大との間に診療契約を締結し、日大病院の勤務医である訴外小田原外一名の医師から問診、触診、内診及び超音波検査を受けたこと、日大病院が原告に紹介患者連絡箋を交付したことは認め、右二名の医師が原告に対し、子宮外妊娠の疑いはなく異常なしとの診断結果を告げたことは否認し、その余は知らない。

(三) 同2(五)ないし(九)の事実は知らない。

3(一) 同3(一)の事実は知らない。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実中、腹腔妊娠には、原発性のものと続発性のものがあり、続発性のものが大部分であること、既往に卵管流産徴候を示すものが多いことは認め、その余は否認する。

(2) 同3(二)(2)の事実中、担当医師は十分に問診し、子宮からの排泄物を検査し、付属器を診察すること、その結果、六ないし八週間の無月経期間後の子宮出血の継続、腹痛卵管の腫大、激しい圧痛等の症状がある場合には卵管妊娠を疑うことは認めるが、その余は否認する。

(3) 同3(二)(3)の事実中、卵管妊娠等の子宮外妊娠の場合には、治療法は原則として手術療法のみであることは認め、その余は否認する。

(三) 同3(三)の事実は知らない。

(四) 同3(四)及び(五)の事実は否認する。

4 同4(一)及び(二)の事実は知らない。同4(三)の事実は否認する。

三  抗弁

(被告阿部)

腹腔妊娠は、その症例が非常に稀なばかりか、その破裂前の的確な診断は全く不可能であり、妊娠初期の早期発見は著しく困難であるから、被告阿部が原告の腹腔妊娠を診断しえなかったことにつき、同被告に帰責事由はない。

(被告日大)

腹腔妊娠の診断は、原発性、続発性いずれの場合でもその早期診断は困難なものとされており一般に続発性腹腔妊娠の成立に先立って、突発する下腹痛、内出血に伴う貧血症状、不正性器出血等の中絶症状が認められるのが普通であるが、ときにこれらの症状を欠くこともあり、正常妊娠と誤診したり、その他腹膜炎、子宮筋腫、卵巣のう腫と誤認されたりして開腹後に判明する場合が多いのであるから、被告日大の履行補助者たる訴外小田原が原告の腹腔妊娠を診断しえなかったことにつき同訴外人に過失はなく、したがって被告日大に帰責事由はない。

四  抗弁に対する認否

すべて否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  被告阿部は、昭和四〇年三月に被告日大医学部を卒業し、日大病院で一年間インターンをした後、昭和四一年六月医師国家試験に合格して同病院の産婦人科医局に勤務した。被告阿部は昭和四七年博士号の学位を取り、同四九年には日大病院の外来医長に就任、さらに同五〇年には同病院の産婦人科医局長に就任し、同五一年には産婦人科講師となった。同被告は昭和五一年六月に肩書地において阿部医院を開業し今日に至っている(右事実中、被告阿部が肩書地において阿部医院を開業していることは原告と被告阿部の間で当事者に争いがない。)。

2(一)  被告日大は、東京都板橋区大谷口上町三〇番一号において日大病院を開設している(右事実は当事者間に争いがない。)。

(二)  訴外小田原は、昭和四四年三月被告日大医学部を卒業し、同年四月医師国家試験に合格し、日大病院産婦人科に勤務した。同訴外人は、昭和五一年から同病院の有給助手となり、同五四年一二月に退職したが、この間同五二年には博士号を取得している。

3  原告は、昭和二六年八月七日生まれの女性であり、同五〇年一〇月に訴外宏治と婚姻した。

二  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(昭和五三年の原告の阿部医院への来院状況)

1  原告は、訴外宏治と婚姻後三年しても子供が出来なかったことから、昭和五三年五月六日阿部医院に来院した。被告阿部は、原告に対して内診及び頸部粘液検査を行った結果、原告を卵巣機能不全(不妊症)と診断し、以後原告は、阿部医院に通って被告阿部から不妊の治療を受けるようになった。

2  被告阿部は、右同日から同年一〇月二四日までの間原告に対し、排卵誘発剤クロミッドや妊娠を持続させるホルモンであるデュファストンを投与するなどの、不妊に対する治療を施したが、結局原告は妊娠せず、原告は右二四日から昭和五四年三月二七日まで阿部医院に来院しなかった。

(被告阿部の昭和五四年三月二七日から同年四月一六日までの診療)

3(一) 原告は昭和五四年三月二七日約五か月ぶりに阿部医院に来院して、被告阿部の診療を求めて同被告と診療契約を締結し、その診察を受けた。原告は同被告に対し、最終月経が同年二月一三日から五日間あって、子宮出血が三月一日と同月二四日から二七日まであった旨告げたので、同被告は原告の妊娠を疑い原告に対し妊娠反応検査を施したところ、妊娠反応陽性であった。同被告は原告の出血症状から妊娠及び切迫流産の疑いをもち、原告に対し、子宮の収縮を和らげる筋弛緩剤ズファジラン(以下「ズファジラン」という。)、妊娠を持続させる作用のあるビタミンE剤イフエロン(以下「イフエロン」という。)を投与し、同じく妊娠を持続させる作用のある胎盤性性腺刺激ホルモンHCG(以下「HCG」という。)を筋肉注射し、安静を指示した。

(二) その後、原告は同年三月三〇日、四月三日、同月六日、同月九日と阿部医院に来院して、被告阿部の診察及び治療を受けた。同被告は、右期間中に原告の子宮が大きくなってきており、またつわりの症状もでていたこと、他方原告の子宮出血が継続していたこと、以上の症状から原告は妊娠しているが切迫流産であると診断し、同月九日原告に対し入院を指示した。

4(一) 原告は、昭和五四年四月一〇日午後三時ころ、阿部医院に入院した。入院時の所見は切迫流産三月(妊娠三月)ということであった。原告はこの日も子宮出血があり、被告阿部は原告に対し五パーセント糖液及びズファジランの点滴注射及びHCGの筋肉注射を行い、ズファジラン及びイフエロンを投与し、安静を指示した。子宮出血は入院三日目の同月一二日にはとまった。

(二) 同月一五日(入院六日目)の夕方、原告から被告阿部に対し、下腹部痛があるとの訴えがあった。原告が内診したところ少量の出血があった。更に被告が原告に対し、ソノビスタ(超音波診断装置)により超音波診断を施行したところ、子宮の左側の偏ったところ、すなわち子宮と卵管が付着する部分に、胎のう(胎児のはいっている袋)が見えた。

(三) 翌一六日も、被告阿部が原告に対し内診したところ、下腹部の左側のほうに痛みを訴えたので、被告阿部は、原告は子宮外妊娠の可能性があると考えた。そこで、被告阿部は右同日、母校である被告日大の経営する日大病院の野村医局長に、原告の子宮外妊娠の有無を検査してくれるよう依頼するとともに、原告に対し子宮外妊娠の疑いがあるので日大病院にいって診察を受けるよう指示し、日大病院に対する紹介状を作成して原告に渡した。

(被告日大の診療)

5(一) 原告は翌四月一七日、前記紹介状を持参して日大病院に赴いて被告日大との間に診療契約を締結した。当時日大病院の医師であった訴外小田原は、同日右紹介状を読み、原告の子宮外妊娠の有無を確認すべく、原告に対し問診及び内診を行ったが、右診察結果からは特に子宮外妊娠に結び付くような点は見当たらなかったので、さらに超音波検査を行うことにした。そこで、訴外小田原は超音波検査室に依頼状を書き、原告を超音波検査室に向かわせた。

(二) 原告は、前同日超音波検査室において、訴外萩原医師(以下「訴外萩原」という。)から、手動走査方式コンパウンドスキャナーの超音波断層法による子宮の超音波検査を受けた。右検査の結果は、子宮の大きさは内腔約九センチメートルで、形状は正常であり、子宮底に辺縁明瞭でない胎のうと思われるパターンがあって、付属器には腫瘤はみられないというものであった。

(三) 訴外小田原は、前同日訴外萩原から右超音波検査の結果を聞き、右検査の際に撮影した子宮周辺部の写真を自ら読影したうえさきになした自己の検査結果と総合した結果子宮外妊娠を積極的に疑わせるような因子がなかったことから、正常妊娠三か月、切迫流産と診断し、原告に対し、何か症状があれば来院するように指示するとともに、被告阿部宛の前記診断結果を記載した紹介患者連絡箋に「妊娠三か月切迫流産」との診断を記載して原告に交付した。

(被告阿部の昭和五四年四月一七日以降の診療)

6(一) 原告は右四月一七日阿部医院に戻り、訴外小田原から交付された紹介患者連絡箋を、被告阿部に交付した。被告阿部は右連絡箋を読み、一応子宮外妊娠の疑いは晴れたものと判断し、正常妊娠三か月切迫流産ということで経過を見ることとした。

(二) 翌四月一八日被告阿部は、原告に対し、ブドウ糖液及びズファジランの点滴注射とHCGの筋肉注射を行った(右処方は同月二四日まで続いた。)。

(三) 同月一九日午前四時三〇分ころ原告はトイレで排尿後立くらみがあって転倒した。また右同日には、原告のつわり症状がかなり強く出ており、原告は下腹部痛を訴えた。また同日及び翌二〇日にかけて子宮出血もあった。

(四) 同月二一日から二五日にかけての原告は、子宮出血もなく、子宮は大きくなってきていた。被告阿部は、原告の下腹部痛もなく、子宮出血もなくなったので、ブドウ糖液及びズファジランとHCGの投与を中止した。

(五) 被告阿部は、同月二六日、原告に対し、ソノビスタによる超音波診断を行った結果、断層画像上子宮の中央にあたる部分に胎のう及び胎児の動きが見えた。

(六) 被告阿部が翌二七日、原告を診察した結果、子宮がまた多少大きくなっており、子宮出血や腹部の痛みがなかったことから、原告に対し退院を許可し、一週間後の来院を指示して原告を退院させた。

7(一) 原告は右退院後昭和五四年五月四日及び同月五日に阿部医院に来院して被告阿部の診察及び治療を受けた。被告阿部は、右五日原告に子宮出血がみられたので、原告に対しHCGの筋肉注射及びズファジランとイフエロンの投与を行い、切迫流産三か月と診断した。

(二) 原告は、同月九日にも阿部医院に来院した。被告阿部が原告を診察したところ子宮出血はなかった。同被告は、右同日原告に対しソノビスタによる超音波診断を行い、胎児が動いていることを確認するとともに、ズファジラン及びイフエロンを投与した。

(三) 原告は、同月一六日及び三〇日にも阿部医院に来院した。被告阿部の右一六日の原告に対する内診所見は、子宮が手挙大の大きさで子宮出血もないということであり、同被告は原告は妊娠四か月の初めであろうと診断した。被告阿部は右同日、原告に対し、ドップラー法による診察を行い、胎児心音を確認した。また被告阿部は、右三〇日には原告に対し妊婦検診の中で行われる貧血、血液型等の検査を行ったが、右検査の結果は、多少貧血気味であるというほかは特に異常なものではなかった。

(四) 原告は、昭和五四年六月一五日、同月一九日にも阿部医院に来院した。被告阿部は右一五日原告に対しドップラー法による診察を行い、胎児心音を確認した。右一九日には原告は下腹部痛を訴えていたが、被告阿部は原告に対し、内診を行った結果、子宮出血はなく、子宮の大きさが小児頭大より小さめであったことから妊娠五か月の半ばであると診断し、原告に対しズファジラン及びイフエロンを投与した。

(五) 原告は、同月二四日阿部医院に来院し、腹帯を着けた。

(六) 原告は昭和五四年七月七日及び同月一三日に阿部医院に来院し、いずれも腹部の緊張を訴えた。被告阿部は右七日、原告に対し、ドップラー法による診察を行い胎児心音を確認し、ズファジラン及びイフエロンを投与した。被告阿部は右一三日にも原告に対しズファジラン及びイフエロンを投与した。

(七) 原告は昭和五四年七月二一日阿部医院に来院し、被告阿部の診察を受けた。原告は被告阿部に対し腹部の緊張が少々あると訴えた。被告阿部の原告に対する内診の結果は、子宮底の高さがへそくらいのところにあり、子宮出血はなかった。

原告は右同日、被告阿部に対し、名古屋にいる原告の父親の体の具合が非常に悪いのでどうしても名古屋に行って父親に会いたい旨訴えた。これに対し同被告は、症状が落ち着いてきた段階なので名古屋に行くのは無理である旨答えたが、原告がさらに、もう父親に会えないかもしれないからどうしても会っておきたい旨主張したので、結局原告の本人の判断に任せることにした。

(原告が名古屋に行ってからの状況)

8(一) 原告は昭和五四年七月二二日名古屋の実家へ赴いた。

(二) 原告は翌七月二三日名古屋市内の飯田産婦人科病院で診察を受けたところ、胎児心音不明と診断された。原告は同年八月一三日にも右飯田産婦人科病院において診察を受けたが、同病院の医師は、右診察の結果、やはり胎児心音がなく原告が時々不腹痛がある旨訴えたことから、胎児が死亡しているのではないかとの疑いをもった。

(三) 原告は昭和五四年八月一五日ころから腹痛が激しくなり、同月一六日前記飯田産婦人科病院に入院した。同病院における検査の結果、同月二二日胎児の死亡が判明するとともに、原告に腹腔妊娠の疑いが生じた。

(四) 原告は昭和五四年八月二七日飯田産婦人科病院の紹介により名古屋市立大学病院に入院した。原告は同病院における検査の結果腹腔妊娠であると診断され、同月三一日開腹手術を受けた。原告は、右手術により左側付属器(卵管、卵巣)を摘除され、また右手術により右側の卵管もつぶれていることが判明した。

(五) 原告は昭和五四年九月一四日右大学病院を退院した。

三  原告の被告日大に対する請求について判断する。

1  前記二5及び8認定の事実によれば、被告日大は被告阿部から原告の子宮外妊娠の有無を検査確認してくれるよう依頼され、原告との間に診療契約を締結したにもかかわらず、右診療契約上の債務者たる被告日大の履行補助者である日大病院の勤務医訴外小田原は、昭和五四年四月一七日原告に対し診察及び検査を行いながら、これらを総合して原告の腹腔妊娠の事実を診断しえず、結局正常妊娠であるが切迫流産の虞れありと誤診したことが認められる。

2  しかしながら、前記二5認定の事実及び《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。《証拠判断省略》

(一)  産婦人科の領域で主に使用されている超音波診断装置には手動走査方式コンパウンドスキャナー(以下「コンパウンド」という。)と電子走査方式リニアスキャナー(以下「電子スキャン」という。)があるが、従来使用されてきたコンパウンドでは広範囲な画像診断には有用であるが、熟練を要し、また画像を構成する点は黒か白かのどちらかで中間色の灰色は存在せず、子宮の後壁や腫瘤の垂直部分に由来する低レベルのエコーは描き出されず、そのため臓器の輪郭は不連続になり、性能的に妊娠初期における小さな胎のうや、小病変の確認は極めて困難であった。

(二)  その後、昭和五一年ころより、電子スキャンが実用化されはじめ、妊娠初期の胎のうや胎児の動態観察が可能となり、現在では広く利用されている。

(三)  しかしながら、昭和五四年当時は、電子スキャンは一部研究機関を除いて一般にはほとんど普及しておらず、コンパウンドが主流を占めていた。日大病院においても電子スキャンを使用し始めたのは昭和五五年になってからであったから、訴外萩原が本件原告の検査に使用したのもコンパウンドであった。

(四)  訴外小田原が右コンパウンドにより撮影した原告の子宮周辺部の写真を解読したところ、子宮は増大し形状は正常である、子宮内に辺縁明瞭でない胎のうと思われるパターンを認める、付属器には腫瘤は認められない、ということであり、右所見は子宮外妊娠を肯定しうるようなものではなく、さりとて子宮外妊娠を完全に否定しうるというものでもなかった。

(五)  同訴外人は、右所見及び被告阿部の紹介状並びにさきに行った原告に対する問診、内診の結果をも総合考慮した結果、原告には他に子宮外妊娠を疑わせるような症状もなかったことから、この時点で子宮外妊娠であるとの診断は出来ないということで、正常妊娠と考えて経過を見るべきであるとの趣旨で、切迫流産三か月との診断をし、原告に対し何か症状があれば日大病院に来院するように指示するとともに、被告阿部に対する紹介患者連絡箋にその旨記載して原告に渡した。

3  また、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  腹腔妊娠は子宮外妊娠の一種であり、妊卵(受精した卵)が腹腔内の腹膜面に着床して成立する妊娠をいう。腹腔妊娠には受精も着床も腹腔内で行われる原発性のものと、卵管妊娠ないし卵巣妊娠が中絶し腹腔内に排出された胎児が死滅することなく再着床して発育を続ける続発性のものとがあるが、原発性のものは非常にまれであるとされている。

(二)  腹腔妊娠は原発性、続発性いずれにしろその早期診断は困難なものとされており一般に続発性腹腔妊娠の成立に先立って突発する下腹痛、内出血に伴う貧血症状、不正性器出血等の中絶症状が認められるのが通常であるが、ときにこれらの症状を欠くこともあり、正常妊娠と誤診したり、その他腹膜炎、子宮筋腫、卵巣のう腫と誤認されたりして開腹後に判明する場合が多い。

(三)  腹腔妊娠診断のためには、他の子宮外妊娠の診断の場合と同様に、臨床経過の観察を重要視し、内診を慎重に行うとともに、ドップラー法、尿中HCG量の測定による妊娠反応定量、子宮卵管造影、腹部単純撮影、ダグラス窩穿刺、試験掻爬などを適宜、適時に利用することが必要であるとされているが、正常妊娠の可能性もあり、胎児の生命の安全を考慮しなければならない場合には、必ずしも右方法の全てを利用することはできないため、破裂前の適確な診断は至難であるとされている。

4  右三2及び3で認定した事実並びに弁論の全趣旨をあわせ考慮するならば、昭和五四年四月一七日当時原告の子宮外妊娠の有無を診断するのに訴外萩原がコンパウンドによる超音波診断法によったこと、訴外小田原が右コンパウンドにより撮影した原告の子宮周辺部の写真を右三2(四)のとおり読影し、右読影の結果と問診、内診の結果とを総合して、右時点において原告が子宮外妊娠であるとの診断はできないとして前記三2(五)のとおり診断したことは、当時の医療水準に照らしやむをえない処置であったものと認められ、してみると訴外小田原が原告の腹腔妊娠の事実を発見しえなかったことにつき、同訴外人に過失があるとまでは認められない。そうすると被告日大には、診療契約上の債務につき不完全履行があったとまではいえないが、たとえ右債務履行につき不完全な点があったにせよ帰責事由まではないものと認められるのである。他に右認定を履すに足りる証拠はない。

5  以上述べたところによれば、被告日大が原告に対し債務不履行に基づき損害賠償責任を負うことを前提とする原告の同被告に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  原告の被告阿部に対する請求について判断する。

1  昭和五四年三月二七日から同年四月一六日までの診療について

(一)  前記三3認定の事実、《証拠省略》によれば、子宮外妊娠に特徴的な症状は、六ないし八週間ほどの無月経期間後の下腹部疼痛、内出血に伴う貧血症状、不正性器出血等の併発による中絶症状と認められ、右によれば医師としては妊娠に右特徴的症状がある場合、子宮外妊娠を疑い、子宮外妊娠の有無を確認すべき義務があるものと解される。

(二)  前記二3及び4認定の事実並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 被告阿部は昭和五四年三月二七日原告との間に診療契約を締結し、同日原告を診察して妊娠及び切迫流産の疑いをもち、同日から同年四月九日からまで、原告に対し継続通院を指示して診察及び投薬を継続し、それまでの経過観察の結果から右四月九日に原告は切迫流産であると診断して、原告に対し入院を指示したこと。

(2) 被告阿部は原告が阿部医院に入院した後も診察及び投薬を継続し、昭和五四年四月一五日及び一六日の検査結果により、原告に下腹部痛及び子宮出血があり、子宮の左側の偏ったところに胎のうが見えたことから、原告の子宮外妊娠を疑い、右一六日日大病院に原告の検査を依頼するとともに、原告に対し、子宮外妊娠の疑いがあるので日大病院に行って検査を受けるよう指示したこと。

(三)  右によれば、被告阿部は昭和五四年三月二七日から同年四月一六日までの間原告に対し、その症状に照らした適切な治療処置を施しており前記四1(一)に述べた医師としての注意義務を尽くしていたものと認められ、被告阿部に診療契約上の債務不履行があったものとは到底認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

2  昭和五四年四月一七日以降の診療について

(一)  前記二6ないし8認定の事実によれば、被告阿部は、原告が日大病院で検査を受けて右検査結果を記した紹介患者連絡箋を受け取った以降は、子宮外妊娠の疑いは晴れたとの前提のもとで原告に対する診療を継続したこと、それゆえ右以降は原告に対し特に子宮外妊娠の有無を確認するための検査等を行なわなかったこと、その結果、結局同被告は原告が腹腔妊娠であることを診断しえなかったことが認められる。

(三)  ところで前記二6及び7で認定した事実によれば、被告阿部は、原告が日大病院から戻ってきて以降は、右日大病院での検査結果を一応正しいものと信頼して、正常妊娠を前提に原告に対し診察及び投薬を行っていたことが認められるが、前記二4で認定したところ並びに弁論の全趣旨によれば、被告阿部は、原告は開業医である阿部医院よりも近代的な医療検査機器を備え、高度の専門的知識を有するスタッフを持つ大学病院においてより精密な検査を受ける必要があると考えて、母校である被告日大が経営する日大病院に原告の検査を依頼したものと解されるのであり、右の経緯に照らすならば、産婦人科の個人開業医である被告阿部が前記検査設備、判断機能を保有する大学附属病院での検査結果を信頼したことはやむをえないものと解されること、さらに前記二6及び7認定の事実並びに弁論の全趣旨によれば原告には日大病院から戻って以降名古屋に行くまでの間に時おり子宮出血や下腹部痛はあったものの継続的な性器出血、下腹部疼痛等の積極的に子宮外妊娠を疑わせるような症状がなかったことが認められ、右によれば被告阿部が日大病院の検査結果を参考にして正常妊娠を前提に原告に対し診療行為を継続したために結局原告に対し子宮外妊娠の有無を確認する検査をなさなかったこともやむをえないものと解されること、以上に加えて前記三3で認定したとおり開腹前に腹腔妊娠を的確に診断することは極めて困難であること、以上を総合するならば、被告阿部は原告の腹腔妊娠を診断しえなかったとはいうものの右につき同被告には診療契約上の債務不履行があったとまでは認められないし、たとえ右債務の履行につき不完全な点があったと認められるとしても帰責事由までは存しなかったものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  右に述べたところによれば、被告阿部が原告に対し債務不履行に基づき損害賠償責任を負うことを前提とする原告の同被告に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五  右の次第で、原告の被告阿部及び被告日大に対する各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤瑩子 裁判官 菅原崇 裁判官大久保正道は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 伊藤瑩子)

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